2009年04月13日

loiol / 「メタ・ヴァケーション」

 ありとあらゆるの人が、死んだ後、再び『人』として生まれ行く前に、『ユア』として過ごす事は誰も知らない。だって『ユア』だった頃の記憶は再び生まれ変わる時に消えてしまうから。ユアは人に転生する前の魂の様なもの。見た目は『人』とそんなに変わらないけれど、全体的にのっぺりしてたり、異形だったりする。そしてこれは、ある星のわっかにぼんやりと座っている一人のユアのお話。



 数光年向こうで、ぐおんぐおんぐおんとうねりをあげながら、細長い体躯の怪物が通り過ぎてゆく。レーテは星のわっかに腰掛けて足をぶらぶらさせながら、それを眺めている。
 ロッピャクと呼ばれるその怪物はひどく巨大で、見た目は龍の様であり、ゆく先を見ても頭は見えないし、来た先を見てもしっぽは見えず、その長さは計り知れない。
 少なくともレーテがこの世界に来た時から、ずっとああして止まらずに通り過ぎ続けているし、彼女の何百倍も前からこの世界にいる知り合いも、誰も頭を見た者はいない。だから彼女は気にしない。そうしてまたvisionary surfinをするべく、隣に並べてある壺に目をやる。複数あるそれらの内、一番手前の薄水色のものの残量は少ない。あと一回やったらまた取りに行かなくちゃとレーテが壺の中の小粒の鉱石を眺めていると後ろから「あいかわらずだな」という懐かしい声が聞こえた。
 見ると旧友のサキノスナが立っていた―厳密には、卵型の保護機械の中で、液体養分の中に脳みそだけが浮かんでいて、スピーカーから彼の声が発せられていた。レーテは不機嫌そうに返す。

「あいかわらず、ってどういう意味よ。そっちこそついに脳みそだけになっちゃったじゃない」
「そのへらず口もあいかわらずだな。どうせまたvisionary surfinに耽っていたんだろ」

 サキノスナの保護機械は、器用に足を幾重にも畳んでレーテの隣に座る。急に座ったので、その重みでわっかが少しだけ柔らかくへこんだ。

「さて、ロッピャクの鱗は手に入れたのか?」
「まだだよ」
「まったくsurfinの睡眠中に鱗が飛んできたらどうするんだ?逃してしまうじゃないか」
「大丈夫。『鱗が近くに来たらアラームで教えてくれる機』をこないだ手に入れたもん」

 レーテはそのピアノの鍵盤が6つほど並んだ様な機械をひょいと持って見せる。

「まったく。フェイジユアの蜜はまだあるのか?」
「あるはずだよ、ほら」

 彼女は白銀のウェービーヘアをめくり、うなじの裏から小瓶を取り出してみせた。

「おい、蜜が薄紫色になってるぞ。元は黄金色だったじゃないか。これ腐ってんじゃないか?」
「…蜜って腐るの?」

 レーテは機械をいじりながら興味無さ気に答える。

「腐ったらせっかく鱗を手に入れても溶けないぜ?のん気に構えて、いつまでそうしてふらふらしてるつもりなんだ?」
「別にいいじゃん。別にふらふらしてないよ」
「同期のよしみで心配してやってるのに。まあいいや、とにかく今日はお別れに来たんだ」
「え?」
「ようやく俺も転生できる手はずが整ったんだ。先に人間に生まれ変わってるぜ」
「そっかぁ…良かったねぇ。また人間になって生まれて四苦八苦するんだね」
「口が減らないな。皮肉のつもりか?」
「うそうそ、ごめん。おめでとうサキノスナ」

 そうして二人は懐かしい話を幾つかして、そうしてサキノスナの脳みそが入った保護機械は、がちゃがちゃ音を立てて去っていった。
 いつまでもいると思っていた旧友の突然のさよならで、レーテはどこか気持ちがくさくさした。まだvisionary surfinをする為の鉱石は残っているけど、とりあえず散歩がてら補充しに行く事にした。



 途中、レーテは自分より長くこの世界にいるお気に入りの先輩を久しぶりに訪ねた。
 その先輩−みんくすは、初めて会った時から、ずっと星のわっかの東側にある盛り上がった丘の方でずっと踊りを踊っている。そしてその日もやっぱり彼女は薄クリーム色のはごろもをまとい、サンシャインゴールドの髪をゆったりと揺らしながら古の呪文を口ずさんでいる。

「みんくすー!元気だった?」
「あーら、レーテ。まーだこんな所をうろついているの?」
「そだよ」
「あんたものんびりしてるわね。さっさと鱗を手に入れてrebirthしなさいな」
「やだよー、みんくすみたいになりだいんだもん」
「あーらやーだ。私みたいなからっぽに?」

 普段は一心不乱に舞い続けていてめったに目を合わせないみんくすが、レーテをじっと見つめた。その薄いグリーンの瞳は三つ並んでいて、それらはレーテの方を向いているけれど、どことなくその視線はレーテの瞳を通り過ぎて、その先を見ているようだった。

「からっぽって…」
「レーテ、良い?私はただ踊っているだけよ」
「知ってるよ。みんくすの踊り、大好きだもん。見ているとナチュラルにvisionary surfinしてる気分になれる」
「あなたは私を対象として見ているだけなの。私の本質は、ただ、踊っている、だけ。それだけよ。風が吹くでしょ?水が滴るでしょう。それと同じ」

 そう言うとみんくすはまたそこにレーテが居ないかの様に、体をうねらせる。歌声は透き通る様であり、呪文の意味は分からないけれどレーテはうっとりする。ただ、先ほどの彼女の言葉がどうにもひっかかり、背筋が少しばかりひんやりする気がした。

「みんくすは、いつrebirthするの?」
「…まだ分かっていないようね。rebirthするとか、考えてないわ」
「えっ、そしたらもう『いのち』が無い存在になってしまうじゃない」
「『いのち』?…あっはは。rhtodug, ehrb3i09, eu, eig05hze222229〜」

 それ以降、みんくすは何も話してくれなかった。レーテはどこか突き放された印象を受けたが、やはり彼女は美しく舞い続けていた。はごろもの表面に施された模様が、みんくすが体を動かすのに合わせて複数のモールス信号の様に光を散らばせている。
 


 レーテは、とぼとぼとvisionary surfinに必要な小石を採取する場所に着いた。わっかから星の方を見下ろすと、地上の山のてっぺんからわっかに向かって、多種多様な色が交じり合った気流がゆっくりと吹き上げられている。その気流に混じって、宝石の様にちらちら光を放つ小石がわっかの上にふんわりと積みあがってゆく。それらの中からレーテは薄水色の石を選んでひょいひょいと壺に入れていく。まだ若い石が古い石に当たるとレの音、逆だとド#、同じ位の若さの石同士だとファの音が鳴る。
 ふと、一寸入り組んだ先に誰かがいる気配があったので何となしにそちらを眺めてみると、まだユアになったばっかりの子達が数人居て、その中心には見覚えのある人が居た。

「はい、じゃあ解散ね。みんな思い思いに過ごしてちゃんとrebirthするのよー」

 その見覚えのある人は、ぽつんと立っているレーテに気づくと、ぱっと笑顔になり重そうな巨体をゆらゆらさせて手を広げてレーテに駆け寄った。

「レーテじゃないの?ほらこっちに来てその顔をよく見せて頂戴。あらあら、しばらく見ない内に頬がこけて、すっかりやさぐれた顔つきになっちゃって。ちゃんとrebirthのための準備を進めているの?」
「クリア、随分お久しぶりですね。ちゃんと進めていますよー」
「…の割りには、その壺はなぁに?surfinばっかりしているんじゃないでしょうね」
「そんな訳ないじゃないですか。ホント、rebirthする前に今一度『いのち』を持ってた頃を思い出したくて。ああ、忙しい忙しい。またrebirthしてその後『いのち』を持って、また死んじゃったらこっちに来るから、その時はよろしくね」

 クリアに捕まると話が長くなる事を思い出したレーテは話を早々切り上げて去ろうとしていたら神妙な顔をした彼女がこう言った。

「もう、こっちではなかなか会えないわよ。私はこの役目の任期を終えたの。さっきの子達が最後よ」
「えっ?でもあなたがいなくなったら誰が新しいユアをrebirthに導けるのよ?」
「だって、この星自体がもうすぐ死ぬのよ。だから今度『いのち』を持った生物達が活動するのは、ここから遠く離れた新しい星よ。この星から、新しい生物は生まれないわ」
「うそ、そんな冗談」
「冗談なもんですか。新しい星はまだ荒削りだけどエネルギーに満ち溢れた素晴らしい星よ。悪いけどこの星の生物達はもう滅びるわ。それが星の運命だし、そこに生まれた生物達の結果よ」
「ニッポニアはどうなったの?」
「あんな小さい島国、とっくに無くなったわよ。…まだ生前の思いに囚われているようね、レーテ」
「え、いや」
「そうやって過去にすがる事があなたにとって良くない事だと分かっているんでしょう」
「でも」
「あなたは一度、死んだの。あなたが生きていた環境、時間は亡くなってしまったの。だからここにいるんでしょう。そしてまた生まれるべきなの。ただ今度はニッポニアでもなければこの星でもない。まったく別の所よ」
「…」
「分かるでしょう、レーテ」
「分かった!また会えると信じてるよ」

 もうちょっとで泣き出してしまいそうだったレーテは、無理して笑顔を作ってその場を離れた。クリアには、そんな気持ちに気づいて欲しくなかったからだ。彼女はすぐにわっかの奥の入り組んだ所に行ってしゃがみこんで、しばらくの間、何か大切なものを失くしてしまっていくら探しても見つからない様な、迷子の様な顔をしていた。

「この星がなくなる…」

 見つめる先には、生前レーテが生まれ育って生涯過ごした星が見える。確かに前に比べたら全体的に青々していない気がするし、おせじにも美しいとは言えないかもしれない。クリアは、それが運命だと言った。レーテは声に出して、1、2、3と数え始めた。時が経てば経つほど、この星は死に近づいている。『いのち』を持っていないレーテは、その事に対してある種の悲しみを感じたくても、ぼんやりとしか感じる事ができず、その事実が更に彼女を落ち込ませた。過去は刻一刻とより遠ざかり、止める手段は無い。もう帰る場所が無い、そう考えると喉に大きな飴が詰まる様な気がした。



 この銀河周辺に光を照らす太陽が遠ざかり、辺りは段々と暗闇に包まれ始めた。これから住処に戻るには遅すぎると判断したレーテはしばらくその場所で休む事に決めた。闇はある種の恐ろしい怪物にも感じられるが、かえって周辺の星々がいきいきと輝いてよく見えるし、誰も彼もが等しく闇の黒さに支配されて溶け込む感じがレーテは嫌いじゃなかった。
 彼女がうとうととまどろみ始めた時、息を切らしながら近づいてくる人があった。そして横になっているレーテを見つけたその人は、あっ、ねえっ、すいません、と声をかけてきた。

「…なに?誰?」
「えっと、あっと、あのー、えっと」

 怯えた様子のその子の体が少し光っていたので、恐らく先ほどクリアに導かれてユアになったばかりの子らしかった。

「何かさっき、真っ黒い人達に声をかけられて…言葉の意味は分からなかったんですが、とにかく顔も体も真っ黒くて。腕を捕まれてひっぱられたので、怖くて逃げちゃったんです」
「ああ、夜水族ね」
「なんですか、それ?ユアってそういう人ばっかりなんですか?あのー、ボクまだユアになったばっかりなんです…」
「彼らは特別だよ。ユアかどうかはっきり言い辛いけど、昔はあんたみたいに光っていたしね。でももう光らないし、rebirthも出来ないし」
「???」
「とにかく、あんまりふらふらしてない方が良いよ。明るくなるのを待った方がいいよ」
「そうなんですか…じゃあここに一緒にいてもいいですか?」
「別に構わないよ」

 その新しいユア−ゆゆゆは、レーテのすぐそばにちょこんと体育座りをして、周りの闇を警戒しながらびくびくしていた。それから二人はぽつりぽつりと話をして、もともとのレーテの能天気な雰囲気に安心したのか、ゆゆゆも次第にリラックスした様だった。

「すると、そのvisionary surfinというのをすると、生前の記憶を見る事が出来るんですね」
「見るだけじゃなくて、体験できるよ。ちょっとした小さい事だったら思い通りにできるし」
「小さい事?」
「例えば、人生が変わっちゃう様な事をしようとしても無理なの。Aさんと結婚するはずなのに、Bさんと結婚しようとするのは無理。でも、平凡な日常の事は結構思い通りに出来るよ。一人で夕食を食べた時に、例えば元々はファーストフードを食べたとするじゃない?でもsurfinの時に、それを止めてパスタを食べる、とかね」
「へえ〜、楽しそう。もう一回生き直れるみたいですね!」

 ゆゆゆが嬉しそうにきゃっきゃうふふと笑いながら四つあるライトイエローのおさげ髪を揺らす。

「でもね、surfinし過ぎると良くないよ。やっぱり後ろ向きな遊びだからさ、やり過ぎると過去に囚われちゃうし…それから段々体が黒ずんで最後にはユアじゃなくなるよ」
「…あの夜水族の人みたいに…?」
「そう。rebirthできなくなる。最後には真っ黒になって、誰からも見えなくなって、ずっとそのまんまらしいよ」
「怖いなぁ。じゃあ止めます。そういうのやです」
「まあ、やり過ぎなければ全然平気だけどね」

 それからレーテは、この世界の事を知っているだけ教えた。色んなユアが宇宙に散らばって思い思いに過ごしている事、夜水族みたいにネガティブな連中もいれば、もっと面白おかしく過ごしているユアがいる事、生前の人間の様に『いのち』がないから、かなり自由に過ごしたり、変化したり出来る事。

「でも最終的にみんなrebirthするんでしょう。クリアさんはその方法は自然と自分で分かるようになるって言ってたけど…」
「とりあえず色んな人に会って、色んな場所で見聞きしてればある瞬間にピンとくるはずだよ」
「うーん…レーテさんの方法はどういうのなんです?」
「私のはさー簡単に言うと、フェイジユアの蜜にロッピャクっていう怪物の鱗を溶かして、それをパンに塗って食べる、っていう方法だよ」
「え?」
「うん、よく分かんないでしょ。でもこれが正解なの。専門の鑑定士にも見てもらったもん」
「へええ、そういう人もいるんですねぇ。じゃあ早く鱗を取りに行かないとだめですね」
「んまあ、でも私はこのユアの期間はある意味で休日みたいなもんだと思ってるから、まったりやるよ。面白いもんもたくさん見れるし」
「休日、ですか」
「うん。だってまた『いのち』持って、限られた時間軸に則って生きるのって、ねぇ」
「ああ、なるほど。確かにそれはあるかも知れませんね…でもボクは早くrebirthしたいです!」
「まあ、これ食べなよ。こっちのガムみたいなもんだけど、結構おいしいよ」
「なにこれー、おいしそう。変な形〜。ありがとうございます」

 二人は弓と滝とビードロが混ざった様なガムを噛みながら、太陽が再び広大な空間に光を投げかけるまで、お互いの生前の頃の話をして楽しんだ。rebirthへと期待を膨らませるゆゆゆのきらきらした姿を見て、レーテは久しぶりに新鮮な空気を吸った気分になった。



 ゆゆゆと別れて一旦自分の住処に戻ったレーテは、悩んでいた。surfinをしたい気持ちもあるけれど、ゆゆゆのあのポジティブで前向きな感じを見ると、surfinに耽る自分が後ろめたく感じられたからだ。特に、お気に入りのストラップシューズを脱いで自分の足先が黒ずんでいるのを見ると、あんまりやり過ぎるのは良くないと思われた。でも、久しぶりに生前の話をしたので、やっぱりどうしてもsurfinがしたくて、結局する事にした。

 レーテは、鉱石が入っている壺から適量を取り出し、直径1メートル程の銀板に散らばした。慎重に散らばり具合を調整した後、銀板全体の石の位置や光の照り返し具合を3分ほど、じっと見つめた。その後、素早く石を吸引器具の先端に入れ、火をつけた。パキピキと小気味いい音を立てて石が溶けて煙になり、それを吸い込みながらレーテは目を閉じ、先ほどの銀板の様子を思い出していた。
 全ての石を吸い込んで、息をしばらく止め、一気に吐き出す。銀板の石の散らばった様子が目に焼きついて、目の前に広がる宇宙の星々の輝きとリンクする。そして、徐々に意識が遠ざかると共に、星の光がどんどん増幅して、やがて目の前が真っ白になる―



 生前のレーテである久澄は、寒空の下、土手に一人座って川をつまらなそうな顔で眺めていた。耳から落ちそうなイヤホンからは懐かしい楽曲が聞こえる。吹きつける風が冷たくて、スカートのすそを足の間に挟みこんでいる。久澄としての感覚が蘇るほど、レーテは限りなく久澄に、以前の自分に重なっていく。あ、あの頃だぁ、と思ったっきり、レーテはしばらくレーテでいるのを止めた。

 久澄はまだハタチになったばかりで、それでも疲れきっていた。一年浪人して入った大学生活では、以前に比べて色々な人や情報が自分の周囲に溢れていた。その変わりゆく状況の中で久澄は困惑していた。
 新しく知り合った学友達に混じってよく笑う訳ではないが、一人で自室に篭ってめそめそと泣く訳でもない。教授や大人の意見を聞きたくないけれど、自分の意見を明確な意思を持って言いたくもない。ページを開けば見える過去の偉人の言葉を別に信じてないけれど、それに反発して疑ってる訳でもない。

 つまり、彼女は、立ち尽くしていた。

 時間は進む、周りは変わる、出会いと別れ、遠ざかる過去、紙の表彰状、自分とは関係なく訪れる未来、いつの間にか背だけ伸びて、かごめ・かごめ、あきれて、しらけて、放り出して、にじみ出る結果に辟易して、自我、他薦、ずるいやり方、お遊戯会、憧れ、失望、もどかしい気持ち、壊れたい気持ち。大切なものって何だったっけ?と鏡に向かって問いかける。

 ふと目に付いた小さな名も知らぬ花を自分に見立てて、久澄は静かに興奮してその花をぐっしゃぐしゃに引き裂いた。それから花が可哀相で、自分の子を失ったかの様に落ち込んだ。一日中誰とも話しておらず、食事も水さえも満足に取っていない久澄は、ノートを取り出して手紙を書いた。あて先の無い手紙を。
 レーテは、久澄は待っていたんだろうなぁ、と思った。
 まったくぶきっちょな青春で恥ずかしいなぁ、と。



 ある日、レーテは朝から熱心に本を読んでいた。何か煩わしい気持ちに囚われている時、きまってレーテは読書をした。2000年代のニッポニアのニュースペーパーを広げた位の大きさで分厚い本を一枚ずつぺらりぺらりと読む。そこにはもう使う人がいなくなってしまった太古の言語で書かれた物語やら哲学やら旅行記やらが書いてあった。本は通常では縦書きで書いてあるが、その行の角度がページを進むごとに少しずつずれていき、本を正面に持っているのに文字が横向きになるので、体を本の横に移動させなければならなかったり、行のズレ方が右や左だけではなく、上下にも及ぶので、ひどい時にはページをまたいだ行などがあったりした。
 普段の読書は、単なる気分転換の暇つぶしの様なものだが、この時のレーテは何かにすがる様に熱中した。しかしいつまで経っても気分は晴れなかったので、以前から読み進めていた一連のシリーズ"小さなレモンと管巻き駅の抒情詩風文書 -第53改定版-"をついに読み終わってしまった。彼女は、本を貸してくれた主へ返すついでにまた次のシリーズを借りに行く事にした。
 早速、彼女は愛用の流星みたいな形のえれきグライダーを準備して、寝そべる様に跨った。うまく足先のコントローラを調節して火をつける。すると先の方にあるグラヴィティボックスの中の小さく圧縮された重力の塊が、熱を嫌がって先へ先へと動く。それに引っ張られてグライダーが空間を滑る様に動きだす。どんどん火を大きく熱くしてボックスに近づける程、グライダーは加速し、次第に本当の流星の如くぱちぱちする粒子を散りばめながら、視覚的にはレーテの姿が12,3メートルほどに伸びて見えるくらいの早さで空間を駆けた。

 レーテがヘッドフォン爆音でムーヴィーゴーグルをしたままグライダーのスピードをどんどんあげてもへいちゃらなのは、グライダー自体が一度行ったルートを覚えて半自動操縦モードになっているからだった。それにしてもレーテは自暴自棄ととられても仕方が無い位危ない運転をしていた。そこには快楽的ゲーム感覚のスリルは無く、むしろ逃げても仕方が無いのにバックレようとしている学生の様な感覚しかなかった。



 もはや何か不定期な周期の大きめな衛星にでもぶつかったらおしまいという速度で駆け抜けている時、誰かが同じ速度で並走して、やがてレーテのグライダーに飛び乗った。そしてレーテのムーヴィーグラスをひょいと取ると、びっくりしている彼女ににんまり微笑んでこう言った。

「レーテ!お前なー、死ぬよ?」
「バブリシャス!久しぶりだね」
「お前なー」

 凍った炎の様な風貌のバブリシャスはすぐさまコントローラを操ってグライダーを止めた。

「なーにすんの。せっかく気持ち良い感じで映画見てたのに」
「だから死ぬって言ってんだろ」
「死なないよ」
「いや、お前なー、何かにぶつかってばらばらになったらまたひとつのユアになれなくなっちゃうだろ」
「ちりぢりになりたい」
「俺の知らない所でやってくれ。この辺一帯の外でな」

 そうしてバブリシャスは、ぼーっとした眼をしたレーテを近くのドリンクスタンドへひっぱりこんだ。

 ぷるぷるした触手が何十本も束ねた様な店員が反酵素ソーダを持ってきた。ソーダはとても細長い容器に入っていてその高さはゆうに3メートル以上あったので、二人は立体ハシゴによじ登り、そして長いストローを突っ込んですすった。バブリシャスはソーダを一気に半分くらい飲み込んで、ちょっと怒鳴り気味にレーテに言った。

「で、どうしたんだ!?」
「…え?いや、ピンフんとこ行って本を借りに行こうと思って」
「そうじゃなくて!何であんな運転したんだ」
「早く行きたかったんだもん」
「嘘つけ。お前普段もっとまったり派だろ。最近あんまり顔見てなかったけど、お前顔色悪いぞ」
「別にいつも通りだよ」
「一緒にフェイジユアの蜜取りに行った頃はもっとぴんぴんしてたのに。鱗はどうした?」
「…待ってるよ」
「またsurfinして、ぼけーっとしてんだろ。ちょっと手先とか見せてみろよ」
「なんでよ、やめてよ」

 半ば強引にバブリシャスはレーテの手をひっぱって確認し、それからストラップシューズと靴下を脱がせた。彼女のつま先から足首にかけての部分は、既に真っ黒になっていて見えなくなりつつある。それを見たバブリシャスの全身は徐々に紅く染まりつつある。

「お前なー…surfinはいいよ。でもやり過ぎるとどうなるか分かってんだろ?なんでもっとアグレッシブに鱗取りに行かないんだよ?」
「…だって絶対、最後には鱗は私んとこに来るもん」
「そんな保証どこにあるんだよ」
「前にスワサワ先生が言ってたもん。全ての出来事はビリヤードと同じだって」
「あの半分怪しい術師の言う事を真に受けてるのかよ。ビリヤードって何だよ」
「だからさ、鱗を手に入れるっていう結果は、ビリヤード台のある一つの穴に玉を入れるのと同じって事」
「はぁ?」
「つまり、ビリヤードって玉を打って穴に入れる様に狙うでしょ?普通のビリヤードは、狙って外したら、玉は次第に勢いを失って止まっちゃう。でもユアの世界なら、玉は勢いを失わないで、何度も壁に当たって、角度が少しずつずれていって、最終的には穴に入るって」
「…よくわかんねーなぁ」
「ロッピャクの鱗は自然と剥がれるでしょ。それに先生は、ロッピャクには頭も尻尾もないって言ってた。延々とあり続けるロッピャクの剥がれた鱗が、ちょうど私の所へ飛んでくる確率はゼロじゃあない。低いけど、でも来るはずだって」
「そんな世迷言に頼ってんのかよ、お前」
「…待ってれば来るっていうんだし、それにユアとして過ごす時間は休暇みたいなもんじゃない。ゆったり構えて何が悪いの?」
「いいよ、じゃあそうやって待ってれば良い。でもな、そういう風に、片手間にrebirthしようと思ってるようじゃお前はいつまで経ってもユアのまんまだよ。鱗が来るラッキーを待ってるだけじゃあな。もうちょっとましな奴だと思ってたぜ。俺な、もうすぐrebirthするんだ。もう会えなくなるから悲しいと思ってたけど、良かったぜ。お前なんかずっとそうやってろ」

 そういうとバブリシャスは真っ赤な炎みたいに揺らめいて、そしてグライダーに乗ってさっさと行ってしまった。
 レーテは、能面の様な顔でグライダーの軌跡を見送った。涙が一滴頬を伝ったけど、レーテはそれを知らないフリをした。



 本を貸してくれた人−ピンフの住んでいる小惑星はまるで森林の様で、うず高く積まれた書物でほとんどのスペースを占められていた。レーテは本の山を崩さないように慎重にグライダーを止めて、本の森の中へそーっと入っていった。実際、地面という地面は本だらけだし、レーテの身長の何倍も高く積まれた本が所狭しと置いてあるので、時に体を斜めにして蟹歩きをしたり、本で出来た丘を登ったりしなければならなかった。一番高い丘から見下ろせる麓の所、まるで蟻地獄の巣の真ん中の様な場所に、ピンフがぽつんといた。彼の前には普通のユアの体よりも大きな虫眼鏡が複数上下左右に設置され、その前で彼は正座している。

「ピンフー、久しぶり」
「あ…レーテさん…お元気ですか…」

 絹の衣を着てちょん髷を結っている彼の顔は虫眼鏡、つまりその先の本の前から微塵も動かない。ただただ休みなしに色んな本から本へ視線を移動させながら、両腕でそれぞれペンを握りメモを書き付けている。よく見ると足にもペンが握られている。ピンフ自体の見た目はかわいい子供だけれども、その本に対する執着心と行動はいつみてもレーテを少しばかり怖がらせた。

「こないだ借りた本、返すよ。でかいから、駐車場の近くに置いといたよ」
「あ…じゃあ後で取りに行きます…また何か借りて行きますか…?」
「んーと、多分もう会えないよ。私、rebirthするんだ」

 レーテは、無意味で、多分ほとんど罪の無い嘘をついた。

「あ…なるほど…それはそれは…」
「ピンフは?」
「ぼくはもうちょっとこのままで…なんならユアじゃなくなって、鉱物になってもいいです…」
「rebirthしないの?」
「うん…ぼくには必要ないです…」
「ふーん、でもさ、」
「―レーテさん…ぼくは忙しいのです…」

 レーテの言葉を遮ってそう言うピンフはもはや一種の機械か、感情を持たない蟲の様でもあった。その冷たい印象に対しレーテの心には彼を侮蔑した気持ちが沸いたが、それは一瞬で溶け、逆にそういう突き抜けた気持ちを清々しく思う気持ちになった。彼はレーテみたいに迷っていない。もう自分の意志に白黒をつけている。そういえばみんくすも同じだったかもしれない。レーテの心のふと曖昧な色の不安が芽生える。

「そっか、邪魔してごめんね!じゃあ、元気で」
「あ…そういえば…さっきバブリシャスさん来たんですよ…これ…メモ渡してくれって…」
「え?さっき?」
「そう…すごく怒ってて…レーテさんがもうすぐ来るからって…熱くなってておかげで本が焦げちゃいましたよ…ぶつぶつ」

 メモを開くと乱雑な字で以下のメッセージがあった。

「レーテ!お前にメモを残すのは嫌だけど、でも書く!ゆゆゆというユアを知っているだろう!俺はほんの数日前に彼女とたまたま知り合って、彼女がお前を知っている事を聞いた!彼女はrebirthのためのアイテムを取りに、グラン・コクーンへ行くと言っていた。あの水の星だ!彼女はちゃんとrebirthしようと一生懸命にしている!お前もあの子をちょっとは見習ったらどうなんだ!?まったく、俺がrebirthしてまた死んでこっちの世界に来た時に、まだお前がぶらぶらしてたらそん時は首根っこ捕まえて無理やりrebirthさせるから、そのつもりでいろよな!!」

 レーテはメモを読み終わって、冷や汗がにじむのを感じた。バブリシャスは本当は優しいけど、もういなくなる。こういう知り合いはどんどんいなくなる。残るのはピンフの様に、自分の意志に妥協が無く、周囲に無頓着な透明な関係のユアばかり。その内、レーテも何となくrebirthしないでぶらぶらして、笑う事もなく、失意の後に、闇に溶ける。そういう嫌な連想が瞬間的に頭によぎり、何か動き出さないといけない気がして、ピンフへの挨拶もそこそこにレーテはグラン・コクーンへと向かった。



 途中、ロッピャクが見えた。相変わらず長い巨体を蠢かせて、うねるたびに明るい星からの光をその鱗に反射させて光をきらめかせている。その様子を眺めていると、ふと、龍の様な体躯なので生物とばかり思っていたが、それは間違った認識なのではないか、とレーテは思った。何か命を持った存在ではなく、どちらかというと岩や氷、いや物質ですら無い気がした。現象―例えばおびただしい量の粒子による濁流か、そうでなければ体積を持たない幻影―つまり目の錯覚の類か、次元を超えた存在かも知れない。
 しかし確かに過去にあるユアから鱗を見せてもらった覚えはある。しかし、その保持者がどうやって手に入れたのかは聞いてなかった。もしかしたらまた別のユアから譲ってもらったのかもしれないし、そもそも嘘や冗談の可能性はぬぐえない。ロッピャクは本当に存在しているのか?rebirthの条件として、ロッピャクを絡めるユアには今まで会った事が無い。レーテは、限りなく眼前に広がる時空間に居る事がとても怖い事の様に思えた。頬をつねると確かに痛さがある。だが、もしそれさえも何かの錯覚だとしたら?錯覚かどうか何て誰に聞いても教えてもらえるはずが無い。



 レーテは、しばらく後にグラン・コクーンに着いて周囲を見渡したが、ゆゆゆの姿は見当たらなかった。もうとっくにゆゆゆはこの星で用事を済ませ立ち去ったのか、さもなくばまだ迷って辿りついていないのか、そもそもこの星に来る予定を変更したのか…レーテは近くの小さな星に腰掛けて考えていた。
 グラン・コクーンの北極に立っている灯台からは真上の方向に冷ややかな色の光線が絶え間なく発されている。また星の周りには、49個の小さな衛星があり、49時間ごとに、衛星がちょうど綺麗に49角形状に並ぶ。そのタイミングで、各衛星の北極に設置された反射板に灯台からの光線が当たり、光がその他の衛星へと分散され、幾何学的な多角形の球体が出現する。球体となった光は増幅し、辺りをまばゆく照らす。生き物やユアなどとは違う感覚で、「存在する事自体」を祝福しているかのような光の球体。
 レーテはその様子を眺めながら、過去に友人達とここを訪れた記憶を思い出していた。まだ皆がユアでいる時間を共有し、rebirthへの期待に輝いていた頃だ。
 光の球体は時間がずれるに従い、緩やかに消え去る。全ての運動には何の意志も意図も介在せず、ただ歯車の様に、止まらずに行われる。再びそれぞれの衛星は闇へと転回し、灯台の光線は一本の淋しい筋になった。そしてレーテも、また薄暗い闇へ取り残された。ゆゆゆは来ない。



 その後、レーテは何度も何度も球体を見た。もう恐らくはゆゆゆは来ないと思われた。なんだよバブリシャスの奴、結局来ないじゃないか、とか、こうしている間にもレーテの住みかの元へロッピャクの鱗が飛んできているかもしれない、とかぶつくさ考えていた。やっぱり待っても来ないものは来ないんだな…でも、じゃあこの広い時空間の中を闇雲に探す方がいいのかな、いやそれも同じ様な事に思えるし…何だかばかばかしくなったレーテはグラン・コクーンへと降り立つ事にした。



 グラン・コクーンは、表面積のほとんどを薄い薄いカシス色の海に覆われた星で、所々にぽつんと孤立した砂浜があった。誰もいないだだっぴろい砂浜に座って、レーテはぼんやりと快晴な空と海の間ら辺を眺めていた。砂は、極小の星の抜け殻が降り積もったもので、どれもこれも淡い青や黄色や緑色をしていた。
 海には波がまったく無く生物も存在していないのでとてもとても静かだったから、レーテは呼吸をするのもためらってしまい、ゆっくりと少しずつ息を吸ったり吐き出していた。あまりにも音が存在しないので、無音とは音が無い状態ではなく無い音で全てが満たされている様に思えた。その状態は不安を覚える様なものではなく、美しく全てが無音という存在しないものによって統一されていた。まるで二次元の、紙上の世界の様であった。その状態は通常とは異なるものなので目を開けても閉じても変わらない気がしたし、時間の感覚がにぶくなりひいては存在している事自体が曖昧に感じられた。じりじりと照りつける陽の光だけが立体的だった。
 ものを思いたくてもその状態は心地良すぎて叶わなかった。いや、思考は脳裏で洪水の様に流れていたが、レーテにはその主導権はなく半ば強制的にそのイメージを受け止めてさせられていた。

 ひどく良い気分なので、今ここでsurfinすれば未だ感じた事のない何かが得られると確信し、レーテは携帯用のvisionary surfinのセットを取り出していつもの様に吸引した。が、石の量が少ないためにいつものような完全な眠りの状態にはならず、少し酔っ払った様な気分になるだけだったがそれでも今の彼女には十分だった。体育座りをしてじっとしていると時折柔らかい風がレーテの体を瞬間包んで、そして通り過ぎていった。その間にも夥しい量のイメージが頭に溢れていたが、やがてその中に一筋の道が出来始めた。



 わたしがユアになる前は、人だった。その人の前はユア。その前はまた人で、もっと前はユア。この連鎖はどこから始まった?始まりは本当にあった?一番最初と終わりはわっかの様にくっついているのでは?
 元々座っていた星のわっかと、それから先と後ろが見えないロッピャクが思い出される。
 遠くの沖の水面に、反射した光がぎらぎらしている。ロッピャクの鱗に反射した光によく似ている。何か大事な事がわかりかけている気がしている。いつしかレーテは汗をびしょりかいている。
 始まりと終わりが無いのなら、私のお母さんは私?新しい生命を産む、という現象は幻想なのか?今まで在った、有った、逢った事は、未来にも在る、有る、逢う?大いなる秘密の片鱗に触れた気がするが、それは知らない方が良い気がした。しかし、レーテは思考の筋を辿らずにはいられない。
 しいん、とした無音の塊の中で、ゆうらりと横たわる海の動きのリズムは、気持ちを産まれる以前へとレーテを誘い、彼女はようやく「ええと…」と言うのが精一杯だった。静かでほとんど動きの無い状態だが彼女はひどく興奮していた。心地良さよりも言いようも無い恐怖感が勝り始めている気がしたが、すでに自分の意志ではどうにもできないと分かっていた。



 混乱した意識に飲み込まれ、もはや身も心も身動きが取れなくなってしまったレーテの頭に、とつ…とつ…という一定のリズムと周波のパルスが響いていた。その優しく均等性のある句読点は徐々に存在感を増していった。それにより曖昧な意識が少しずつ順列をつけられ、規格化され、整えられていった。

 そしていつしか―どれだけ時間が経ったのか分からないが―レーテは元の精神状態に戻っているのに気がついた。レーテが安堵のため息をもらし「助かった…」と倒れこむと、傍に何か大きな影があるのに気づいた。
 見ると、オレンジ色の巨体な金属の塊が佇んでおり、それがパルスを発していた。それは以前見かけた事があるスプレッドモンスターと呼ばれる機械だった。筐体の中心やや上の辺りにある細く横長のスクリーンに一つ目の黄緑色のライトが灯り、レーテと目が合ったと思うと、ずんぐりした体を少し斜めにして太く短い手の部分が体の後ろから前へスライドした。見ると手には飴があった。
 レーテは戸惑わざるを得なかったが、過去にこの機械を見た事があるし、彼についての話は聞いていた―つまり危うい状態のユアを気まぐれに救助する特性のある機械だという事―ので、その飴を貰って食べると優しいミントの味がした。

「ありがとう」

 そうレーテが語りかけるのに前後して、スプレッドモンスターは上半身を反対方向へスライドさせ、ざっしゅざっしゅと向こうへ行ってしまった。その後姿を眺めながらレーテは以前彼を見た記憶を思い出していた。



 その頃、レーテはまだユアになりたてで、仲の良いユア達と色んな星を探検していた。ある時、このグラン・コクーンの様に、まったくユアや生命体が存在しない砂の星に行った。その星は厳密には細かい砂が寄り集まって出来ている塊で、下手をするとそのままずぶずぶと塊の中心まで飲み込まれてしまうという危ない場所だった。レーテ達は円盤の様な靴を履いて、ただただ荒涼とした極端に色の数が少ない風景の中を行った。そしてその中に、ぽつんとスプレッドモンスターが居るのを見た。黒い機器に背中をくっつけた彼はじっとしていた。先輩のユア曰く、彼は充電しているらしかった。砂嵐が舞う中、彼はひたすらに独り、そうしていた。スプレッドモンスターは大昔に作られた機械だとか、きまぐれにユアの前に姿を見せては感情を見せずに何かしらを施してさっさと消えるとか、実は一体だけではなく複数存在しているとか、色んな噂が存在していた。レーテは先輩に聞いた。

「何のための機械なのかな?」
「さあ…もう作ったユアも、詳しいユアも居なくなったから誰も知らないんじゃないかな。彼も自分自身の存在意義を知らないだろうし」
「…独りで淋しそう」
「そんな事も考えてないかも知れないよ」
「…」

 以前、あるやんちゃなユアがスプレッドモンスターに遭遇し、色々ちょっかいを出した挙句、まったく取り付く島も無い彼に対して遊び半分に攻撃をしかけた事があった。金属棒でめった打ちにされている間も彼はじっとしていて、そのユアが飽きて止めると彼は何もせず、そっとどこかへ行ってしまったという。

 レーテはそんな事を思い出しながらミント飴をころころしながら憐れみに似た感情とシンパシーに近い思いを噛み締めていたが、そもそもこの飴、食べて大丈夫かなと思わざるを得なかった。



 グラン・コクーンを離れたレーテは、ビリヤードの話をしてくれたスワサワ先生の所を訪ねる事にした。先生はレーテが人づてに聞く限り、最古のユアだった。ユアによってはいかがわしい、うさんくさい存在として認識されていたが、レーテは彼の特殊な雰囲気が嫌いではなかった。先生はまだら模様の星で、巨大なパイプオルガンの前に座って演奏をしていた。

「先生、お久しぶり」
「うん、レーテ、しばらくぶりだが、元気だったかい」

 先生はすでに体の半分以上が鉱物化しており傍から見ると単なる石の塊に見え、やっと目と指先だけが動く程度だった。レーテはその姿がやがて自分が成る姿かと思うとぞっとしたが、どこかそれでも良い気がしないでもなかった。レーテは先生との対話の中で自分の行く末を探ろうと思った。

「先生、もうすっかり鉱石ですね」
「うん、なかなか悪くないよ」
「淋しくないですか」
「うん、石はものを考えんのだよ」
「先生にとってrebirthとは何ですか」
「うん、終わりの無い回転だな」
「先生にとって他のユアや生命体とは何ですか」
「うん、これもまた終わりの無い回転だな」
「先生にとって意志とは何ですか」
「うん、意志ってなんだね?運動の事かね?」
「先生にとって運命とは何ですか」
「うん、そうやってお前さんが迷って質問する事だね」
「先生にとって存在とは何ですか」
「うん、君が存在している以上、それは分からないよ」
「というと?」
「うん、自分の肉眼で自分自身すら正面から見れんじゃろ」
「?」
「うん、そもそも言葉では君に存在というものを伝えられないよ」
「?」
「うん、この音が聞こえるかね?」

 そういうと先生はオルガンで数フレーズ弾いてみせた。それは短いが尊い音色だった。

「聞こえます」
「うん、何を感じた」
「…良い音だなって」
「うん、じゃあこれは」

 そういうと先生はまた弾いた。そして感想を聞いた。レーテは良い音だと答えて、先生はまた弾いた。それを何度も何度も繰り返した。レーテはその行為を疑問に思ったが、先生の瞳は何かを訴えている。わざとふざけている様ではなさそうだ。何度も何度も繰り返されるそのやり取り。我慢できなくなったレーテは、遮って聞いた。

「これ、何なんです。わかりません」
「うん、じゃあどう感じた」
「え…何なんだろ、これ、って」
「うん、よしよしいいぞ。じゃあ続けるぞ」

 そんな事をレーテと先生は何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も繰り返した。



 その後もレーテは、やはりロッピャクの鱗をぼんやりと待ち続けていた。体は部分的に石になりかけていて、ものに触れるたびにかちかちする。surfinのしすぎで手先足先はもう暗く見えない(存在している事は存在しているのだが)。すっかり顔見知りもいなくなり、レーテの座っているわっかの星の周辺にも新しいユアはいなくなった。みんくすやピンフなど、rebirthしない意思のユア達も最終的に鉱物になってしまった。たまにスプレッドモンスターを見かけるだけだ。
 寂しいな、と思わないでもなかったが、どうしてもrebirthの意味がレーテには分からなかった。また生まれ変わってもまた死んでしまう。このぐるぐる廻るリレーの様な出来事と自分という意志はどういう関連があるのだろうか。そんなものは無いのかもしれない。誰からもバトンは受け取らないし、誰にもバトンは受け渡さないのかも知れない。廻ってゆく作業は、レーテの意志とは関係無い装置によって活動しているのかも知れない。そしたらいっそ鉱物でもいいかもしれない。最近レーテはものを思う時間が少なく、動く事もほとんどなくなってしまっていた。ただただロッピャクの体のうねりに反射するちらちらする光をまなこに受け止めるだけの存在になっていた。







 レミテス・ゼ・アヤワスカは、西の大陸のロストメアという小さな国に生まれ育った。戦乱と長い長い貧困の時期を潜り抜け、ようやくささやかな平穏の日々が訪れた時、彼女の髪はすでに真っ白になっていて長年連れ添った伴侶は天に召されて久しかった。しかし頼もしい息子達や愛らしい孫達に囲まれて、彼女は幸せだった。
 あるニューイヤーの頃、長男家族と共に彼女は暖かい地方の海岸へ出かけた。

 彼女は、夕陽色に染まったプライベートビーチに居て、パラソルの下で椅子にもたれながらお気に入りの本を読んでいた。暖かい風を頬に受けながら、水際で遊ぶ孫が立てる音を聞きながら、お気に入りのセンテンスを思わず何度も読み返してしまっていた。
 どうしてこのセンテンスがこんなにも気になるのだろう、と彼女は少し不思議に思った。柔らかいさざ波の音を聞きながら、注意深く、文の構成、含まれている単語、単語を作っている文字、と一つひとつほどいてみた。そしてその内に、彼女はうっとり寝入ってしまって、ある夢を見た。と言っても、寝てしまってからほんの十数秒後に孫娘に声をかけられた訳だから、夢というより一瞬の幻かもしれなかった。そしてそのイメージは幾つもの場面が重なり合っていた。

「ねえ、グランマったら!」

 目を覚ますと水着姿の孫娘がミントブルーのタオルケットで体をすっぽり包み込んで髪から水をしたたらせている。手には3歳の誕生日に買ってもらったぬいぐるみがいつもの通り握られていて、やはりずぶ濡れになっている。

「夕飯を食べに行こうよ、わたしを着替えさせて」
「はいはい、今日はたくさん海で遊んだじゃない?去年は怖がって水にも触れなかったのに。それにしても遅いわねえ」

 腕時計に目をやると、約束の時間をすでに過ぎている。長男夫婦が後で車で迎えに来てくれる予定なのだ。レミテスは孫娘を着替えさせながら先ほどの夢幻を思い返し、重なり合ったイメージを注意深く一枚一枚剥いでみた。



 夢の一枚目
 夢の中でレミテスは、宇宙空間に佇んでいる見慣れない白い人、つまりレーテだった。何がどうなっているのかは分からないが、確かに自分はレーテであるという紛れもない認識はあった。転生を最終目的とする彼女は、そのための鱗を待ち続けていて、結局鱗は来なかったので、彼女は鉱物になった。身体的に身動きが完全に取れず、何かの衝撃で体がかけたとしても、それはそれで彼女であった。

 夢の二枚目
 半分鉱物になりかけた彼女の元に、向こう側からふわりふわりとシャボン玉がやってくる。そして彼女の前でぱちんと弾けると一通の封筒があった。それは遠く以前にゆゆゆから送られてきた手紙だった。手紙の他には、レーテが待ち続けていたもの、つまりロッピャクの鱗が同封されていた。手紙には、ゆゆゆが先に転生している事、旅の途中で鱗を手に入れたので送るという事、転生後にまた会える事を楽しみにしている事が記されていた。

 夢の三枚目
 やはり鉱物になりかけのレーテは、鱗がやはりやって来ない事を悟ると、静かにvishonary surfinの吸引器具の底をひねり取り外した。底の薄いスペースには、ロッピャクの鱗が納められていた。煌くそれを見つめながら彼女は、過去にたまたま知人からそれを貰った事、そんな譲り受けるというラッキーによってrebirthする事を良しとしなかった事、かといってそれを捨てるに捨てれず取っておいた事、を反芻していた。

 夢の四枚目
 完全に鉱物になる前にレーテは今一度さすらいの旅に出た。そしてある占い師に出会い、自分のこの先について見てもらった。すると占い師曰く、とっくの昔に鱗を溶かしたハニートーストを口にしているので、rebirthしようと思えばいつでも出来るという事を聞いた。詳細を聞くと、確かに以前旅の途中で立ち寄った場所でハニートーストを食べた記憶があった。しかしそれに鱗が溶けていたとはついぞ知らなかった。
「恐らく蜜壺にたまたま鱗が飛び込んで溶けていたのでしょうなぁ。そしてあなたがそれを口にした、と」

 夢の五枚目
 ある日、レーテの前をスプレッドモンスターが横切った。何とはなしに彼女は、彼の後をつけてみる事にし…



「パパたちだ!」

 砂浜の後ろの防風林の方で車が停まる音がする。孫娘はサンダルを履かずに走っていく。レミテスは立ち去る前にもう一度海に目をやる。陽はすっかり沖の向こうへ落ちかけていて、光の尻尾の先を海面に横たわらせている。その様子とまだ頭の片隅にある夢のイメージは関連性がある気がするが、彼女を急かす孫の声に答えねばならない。

 ―レストランへ向かう車内で、孫娘が今日昼寝をした時に見た夢についてとうとうと喋りだした。それを聞いた息子は「ふん、不思議な夢だね。もしかすると前世の記憶かもしれないなぁ」と言った。奥さんは「あら、来世の予感かもしれないじゃない?」と言った。それを聞いた孫娘は、レミテスに聞いた。

「ねえグランマ、どっちなのかな?」

 そしてレミテスの口から、ふいに
「それはね、どっちもなのよ」
 という言葉が、確信を持って、ついて出た。