たくしあげたジーンズの生地がふくらはぎをじんわりと締め付ける。いと子はあしうらから甲に広がりのぼりつめる温みに湯の中の足を動かした。生地のこわばりは強まった。
湯の上には宿のあかりが夕の影を乱して浮かんでいた。足を揺らすと、すべては乱れた色彩となる。夜も街も、そのなかに落ちていくようである。
とすれば、と彼女は思う、いと子がさっきからぼんやり目を向けている駅へと延びる小道を急ぎ足に過ぎる女は、沈んでいく街を抜け出してどこか遠くへいくのだろうか。そんなおとぎばなしの影は水面に映らない。それがあざやかな色を持つのは、いと子の肌の下をゆるく流れる水の上だけである。
電車が来る時刻をいと子は知らなかった。だが、いまや短く切った髪と華奢なうしろすがただけを残す女には見覚えがあった。いっとき、ひどく人気のあったアイドルである。もっとも、この頃はあまりみかけなくなった。まだ成人前に、たばこを吸っているところを週刊誌に撮られたために活動出来ないこともあり、そのせいもあるのだろう。所属事務所を替えて復帰したが、詳しいことはわからない。女の姿が見えなくなるまで、いと子は道の先を見つめていた。仕事が多く、あるいは以前のトラブルのために風当たりもつらく、短い休暇にでもきたのだろうか。女はいと子よりも三つ若い。同い年よりも、後輩を見守るようなあどけない共感もあったのだろうか、女がにぎやかなアイドルグループの一人として登場してから、ずっと見てきた。マイクを握り緊張を頬に残す彼女はまだ十二歳で、少女というよりも児童という面影があった。それが少女となり、女へ向かってじわじわ変わっていくのを抑え続けるのは、それこそ暗室にでも入れておくよりないだろう。光や温度、湿度も管理して、葉のつや、延び方、花の開き具合、うるおいによく気を配り、はじめて目に出来るものである。結晶となっていた女の要素、わたしはそれを目にしていたのだ。女の残像にゆっくり思い出すものに浸る。足だけを濡らす湯はしだいにとろとろとしたものに代わり、彼女を飲み込もうとする。それが断ち切られたのもまた、湯の下に落ちまいとする少年の影だった。
粘り気が影と石畳をつないでいる。影と少年はさみしいあわさでしか繋がっていない。粘っこいものは少年の目から垂れるものなのに、繭のように彼を包み始めている。
二人の目が合った。足、いと子は重なった瞬間に知る。
「見てた、さっきの」
少年の目はぐらりとゆれた。目の奧が乾ききっているのがわかる。
「あっちの道に、行ったでしょう」と女の名を挙げる。
「あら、見てなかったの」
少年はこくりと肯いた。狐を思わせる動きだった。
「じゃあ、なにを見ていたの」
少年の目が洞となり、奧には宿の灯りが透けはじめる。
いと子の目に映るのは、彼のうしろすがたである。駅とは逆の道を進む。からだは支えを失っているのが伺えた。宿の並びの影に消えていく。
足湯をあがり、タオルで丁寧に拭く。桜色に染まった足に夜と街が散り始める。
宿に戻ると畳の上に横になり、小型ラジオのスイッチをすべらせた。なじみのない声のアナウンサーは、暖冬ということばを繰り返した。
「東京は桜が咲きました」寝ころんだまま、聞いた。番組に挟まれた短いニュースが終わり、今年の卒業ソングとして紹介されたやけに明るい音楽がなり始めた。聞いたことのない歌声だった。
音量のつまみに指をかけて、いと子はあの少年を思った。まだ十五六だろうか。このあたりの子ではないだろう。慣れない一人旅で、孤独とも退屈ともつかない感情にとらわれた、そんなところではないだろうか。まだ温泉街のどこかに、変わらない粘り気のある感情を抱え、からまっているのだろう。一方で、アイドルは帰っていく。仕事のある東京へ。女が東京の公園で、花見客にマイクをつきつけるすがたを思い浮かべる。声は謹慎前の、幼さの残るものだ。いと子は女のむかしの声に沈む気持ちで、ラジオを切る。
女が同じ年の子とユニットを組んだときのことを、いと子はいまも甘く思い出す。あざとさは少女たちの体から強く発するかおりのしびれで、うすらいでいた。はりつめているあやうさは、彼女たちが出演する番組をいと子の目の前につきつける。女でありながら、という気分は次第に消えていった。かわいらしさとは甘さであり、ほかの味覚を閉ざしてしまう強いものだ。だからこそその強さは長く続くものではない。別の形へと向かわねばならないときが、どうしても訪れる。かわいらしさはすでにひとつの喪失である。あわれっぽい影はすでに、足許でさざなみをつくっているのだ。だからこそ女の喫煙は、その正しいあらわれのように思えてしまう。
十五歳の頃、いと子は火で厄介な目にあった。たばこに点るいたずら深いものとはちがう。もっと灰の味を知った火である。煙もまた、黒くかたまったものだった。
卒業する今となってはもう必要がないからと、テストの答案やプリント、ノートを燃やした。終業式の日のことである。それをついグラウンドでやってしまったから問題になった。受けなくてもよい、どこに切っ先が向かっているのかわからないことばを散々に浴びた。高校入学、という声が歪んで幾度も響いた。滑り止めで受かった四月から通うことになる高校を、いと子はよく知らなかった。
部屋を出て階段を下り、浴場に向かった。脱衣籠には静けさが詰まっていた。温泉街に温泉のほかはなにもない。詳しいガイドブックにも、そそるものは載っていなかった。明日にはすこし遠いが森の方にでも足をのばしてみようか、という夕暮れから胸を駆け回る気まぐれも、朝の清潔な風は忘れさせてしまう。散った思いを追いかけるように、彼女を風呂へと導くだけである。
岩のあいだに隠れるように、かがんでつかる。たえまなく注がれる湯の音に頭から浸った。音だけを意識を削いで受け続ける。
食事を運んだ仲居はもしかしたら自分よりも若いかもしれない。その考えを意味もなく引き延ばして、量の多い夕飯をのろのろと食べた。あまり動いていないのに、時間さえかければ不自然さを感じさせずに体の中に落ちていくのが不思議で、箸を置くと気味悪くもなってくる。食べてもそれほど太らない。二十四歳にもなると、そのことを以前よりもうらやましがれるようになった。だが甲高い声で愚痴をこぼす彼女たちも、太ももを見れば黙るのかもしれない。うらやみから、いつしか自分たちのことへと話を移しているのを黙って聞きながら、いと子はそう思うのである。決して細くはないのだ。果実の水気と、葉陰の暗みも射しているそれは、この頃の若い子ならばなんというのかわからない。だがいと子は気にせずにいた。あのアイドルもそうだったのだから。
アイドルが復帰してからのインタビューで、謹慎中に自傷していたことを知った。病院に行くとばれてしまう、と自分でガーゼをはりかえていた。そう書かれた記事に覚えたあわれっぽさは、あまりに遠い、ほとんど風景に近い感情だった。わたしはやはりこの女がすきなのだ、なにか一首の歌を愛するようにすきなのだ、いと子はそう思ったのだが、それからのことを知ろうという気は失われていた。
食べ終えてから見る食器はぎらぎらと光っている。醤油の深い色にはふやけた虹が浮いている。小鉢の煮汁がかたまりはじめた脂を載せている。味噌汁の椀には大豆の屑が跡を残したままだ。
急須に湯を注いで、ゆっくりと回す。そうしているうちに夕に会った少年のことが浮かんだ。彼は女のはなやかだった頃を知らないかもしれない。しやしやと落ちる緑の曲線は、少年の目を思い出させる。声を掛けられて、ぐらぐらとした芯のない目である。きっと彼は空想でわたしを姦すのだろう。湯から出たふくらはぎを思い浮かべ、自分を責めた声を求めながら。彼は、肌に載ったぬくい色まで覚えているだろうか。
いと子はぬぐったときの桜色を思う。だが瞼の内に浮かんでくるのは別の色彩である。
卒業式が終わって、いと子は仲の良い友人と二人、靴も靴下も脱ぎ、校庭を歩いた。毛虫が多かったので避けていた裏庭を歩き、そのまま道に出た。すこし先の図書館の手前まで歩き、また戻った。グラウンドの水道場で、汚れた脚を洗った。
「高校生になったら、こんなこときっと出来ないよ」
「大学で東京いったらなおさらだねえ」いと子は、わざと大時代な言い方をした。
「痛いだろうねえ。そういえば、いとちゃんの好きな歌手は、裸足で歌ってるね」
いと子は彼女のかかとの汚れを指で落としてやる。くるぶしに触れて、くぼみのやわらかさを確かめる。支える骨を噛むように圧すと、くすぐったいと笑った。彼女の足にはきれいな白が走っていた。
式のとき、巣立ちの歌をうたった彼女の足には強い色が流れていた。感情がしたたっていた。浮かんだのはその色である。
いと子は裸足のあしうらに力をこめた。畳を圧した。目の底に、夜の色がやわらかくまざっていった。白くしろくなっていった。
2009年04月13日
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