遠山さんの右手の話だが、実は取り外し可能だとは知らなかった。何せ左手だけだと思っていたのだ。4日の放課後、軽音楽部の部室には僕と彼女しかいなかった。部員がそもそも2人しかいないので来年には潰れているだろうが、その頃には卒業している。僕は買ったばかりのコンパクトイコライザーをいじっていた。特定の周波数の音量を調整するものらしい。使い方が良く分からなかったが、つまみが沢山付いていて大変にプロっぽく、これ見よがしにいじってみせたが彼女は見ていなかった。
ふと、あっ、と彼女は小さく息を吐いた。その後、口の中で「しまった」と呟いた。
「参ったな」
僕がどうしたのと訊くと、彼女は「右手取れた」と残念そうに言った。僕の聞き間違いかとイコライザーをいじってみたが、遠山さんの周波数は知らなかった。僕はヘッドフォンを外して、再度、どうしたのと訊いた。
「右手も義手なんだよ」
「それは」
それはそれは……左手が義手なのは知っていた。僕は義体の知識には明るくないので、飛ぶのか、飛ぶんだな、敵に向かって、程度の事を密かに考えていたのである。
「右手も左手も飛ばないけど、外れるんだ。付けるのがすごく面倒なんだよ」
「ああ、飛ばないんだね」
僕が心底落胆して、イコライザを指先で弄んでいると、彼女が続けた。
「敵って誰?」
「……誰だろう?」
僕らの敵は誰だろう。エレキギターがハウリングしていたのでアンプの電源を切った。埃を被ったアコギを抱えて、最近覚えたAm7のコードを、最近覚えたアルペジオで弾いた。遠山さんはどうしようもなく悲しそうな顔をした。最近覚えたFのコードを力強くかき鳴らした。遠山さんはまたとなく嬉しそうな顔をして、言った。
「右手、どうしよう!」
僕がギターの音を止めると、遠山さんは僕の顔をじっと見て呟いた。
「飛ばしてみようか」
「右手?」
彼女は頷く。僕は嬉しくなってGのコードをかき鳴らしたが、すぐにやめて叫んだ。
「まずいんじゃないかな」
「何で?」
「敵がいないんだ」
「……伊藤君、最近腹立ったことある?」
「えー、ちょ、じゃあ、え、何個まで?」
急にテンションの上がった僕をひどく優しい目で見て、いっこだけ、と彼女は言った。僕が、最近暑くて腹が立つ、あの温暖化が、と告げると、遠山さんは「そいつが敵だ!」と叫んだ。僕が急いで窓を開けると、遠山さんは、飛べ! と力強く命令し、右手を思い切り窓の外にぶん投げた。ややあって、がちゃ、と遠くから聞こえてきたので、僕らはげらげらと笑う。遠山さんの敵には当たったのかな?
窓は開けたまま、使えないイコライザーを蹴飛ばしてアコギでCのコードをかき鳴らすと、彼女はこの上なく嬉しそうな顔をした。僕の下手糞なギターに合わせて、彼女はふにゃふにゃと適当な歌を歌った。
すると誰も聴いたことのない、新しい音楽がきこえたのだ。
2009年04月13日
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/117408847
この記事へのトラックバック
http://blog.seesaa.jp/tb/117408847
この記事へのトラックバック

