2009年04月13日

Banoffee / 「飛んで逃げましてはコンニチワ烏山動物園」

 この地をなぜに"カラスヤマ"と呼ばわるか。
 単純だ。『市立烏山動物園』が市街地のど真ん中に鎮座しているからだ。いや、主節と従属節を取り違えたわけじゃない。"烏山市"という市名は烏山動物園に因んでいるのだ。間違いなく。
 確かに歴史的には烏山市は、ご一新の時世から以後ずっとカラスヤマだ。それは認める。年表上では市立烏山動物園は市制五十周年記念事業の目玉として作られたハコだ。それも認める。
 だけど、その年表とやらがが成立したのはいつだ。タイムラインを組んだのは誰だ? その史実とやらを首唱したのは?
「だって現実にそれがホントだってことになってるわけだし」
 したり。
 では僕にとっての現実の話をしよう。
 マスケット銃兵にとっての真実を語ろう。

 周知のとおり、生業によってヒトが現つに触れられる場所、というは違うものだ。例えば政府筋の発表によると、金魚売りは公衆便所で現実と接触する機会が多いそうだ。また、杜氏たちはパン工場で荼毘に付されることを希望する傾向にあるらしい。もちろん真偽のほどは不明だ。僕も、酒屋が今際の床でコウジカビ菌からイースト菌に不倫するなんてのは与太の極みだよね、とは思う。
 でも、公僕たる兵士が、市民の誇り高き奴隷であるマスケット銃兵がお上を信じなくてどうするんだい?
 国防大学銃士課程に在籍してたころは訓練中によくこんな隊歌をうたわせられたもんだ。
"俺達絶対マスケティーア♪ 相対正義な不浄の射手♪"
ときて、
"真実は政府より授かり、現実は踏切にて奪うなり♪"

 僕らが歌う"踏切"とは、もちろん第四種踏切のことを指す。


 烏山市の南西、楠井町踏切には警報機や遮断機の類が一切設置されていない。
 なるほど、四方を水田に囲まれたのどかなこの一帯では、九マイル先を走行しているL2型貨物列車の位置だってわかるだろう。注意を促す看板さえ掲げられれば、町としては安全責任を果たしたことになる。その侮りが第四種踏切を生む。世界一寂しさと危険さを誘う『境目』をかの地に呼び寄せる。
 解っていたはずなんだ。町役人だって、官のはしくれだからね。
 でも当時の駐留第七師団第五十二大隊に配置されていたマスケット銃兵の数はわずか三十二人。
 それに楠井町は大隊の駐屯施設からだいぶ離れていたしね。あながち木っ端役人の迂闊さも責められたもんじゃない。というか、仮に悪意を孕んでいたにしろ、今となっては糾弾自体が無意味だ。

 木っ端が立てた木っ端看板には「とまれみよ」とあった。警句である。と、同時に呪言でもある。
 第四種踏切において、マスケティーアが要求されるのは何か:愚鈍さ。
「とまれみよ」を「留まれ御世」と読んではいけない。そう解した瞬間に、銃士の魂は現し世と呼ばれる常世に結ばれる。
 僕もつながれた。いつ?
 五世紀廻って二年前、丁度いまの時刻。黄昏みたいな払暁に南中した太陽を迎えた深夜午前。
 当時の僕は防大を出たばっかりペーペーで、散弾の入った実包とターメリックの詰まった香料袋を取り違えてしまうようなヘマばっかり打つウスノロだった。第四種踏切の危険性を、十全に理解してなかった。「とまれみよ」を読んでしまった。浅はかにも。
 そして、何を見た? 
 眼前には、一秒前となんら相違ない田園風景。
 人気が絶無な人鉄クロスロード。だが、空に何を認めた?
 何と遇った?
 黒い飛礫のような影。黛の鳥。烏。鴉! そうか。

 僕は現実に触れてしまったのか。

 後ろで「や」と誰かの声がした。
 僕を呼んだのか、と咄嗟に振り向いてしまう。そこに頭を垂れて肩で息をしている中年の姿。しまったな、「や」は単に息が漏れた音だったのかも。
 男は年のころ四十そこそこ、禿げ上がった頭がやや寂しいが車に轢かれてぺしゃんこになったコウモリみたいな鼻と、たるんだ頬を少し引き締めればなんとか直視に耐えうる顔といったところであり、これにとベージュのツナギとくれば、もはや動物園飼育員と見て間違いはなかった。まさか実在するとは知らなんだ。僕は彼らを子供向け絵本の中でしか見出すことのできない人種だと思い込んでいた(彼の登場は僕が現に呑み込まれていたことの証左だったのだけれど、あの頃の僕はそこまで頭が回らなかった)。
 ともかく、マスケット銃兵に動物園飼育員とくれば、古今東西かけるべきセリフなんて一つしかない。

"僕のマスケットに何か御用ですか。"

 こうもり親父が青色吐息で真上を指差し、「あれを撃ってくれ」悠然と宙を舞う拳大の影一つ。さっきのカラスだ。「あのカラスを撃ち落してくれ」「尾羽を血まみれにして地べたを這いずり回らせろ」なぜ?
「君は今朝の新聞を読んだか? 読んでない? ならば帰ってから目を通してみるんだな。既読だったなら自分の注意力の無さを呪え。呪う前にもう一度『烏山新聞』第二十三面社会面左隅の囲い記事を確認しろ。小見出しは『烏山動物園、脱走!』――なぁにが『!』だ。面白がりやがって。『二十六日未明、烏山動物園から烏山動物園が脱走した。烏山動物園では園を土地に縛るための依代樣にカラスの"Qちゃん"を採用しており、一般客が侵入できない園内の地下施設で管理していた。清掃のためおりに入った飼育員が、出入りするドアを閉め忘れたのが脱走の原因とみられる。Qちゃん脱走時の目撃証言は皆無で、今後の捜索は困難を極めると予想される。烏山動物園のあった場所はQちゃん脱走に伴い広大な空き地と化し、市当局によって緊急に封鎖処置がほどこされている。【烏山市長談話 "動物園あっての我が街。早急にQちゃんを連れ戻してほしい"】』
――で、目下我々の上空を優雅に滑空なさっているのが」
 Qちゃん。
 十二万平米をわずか五十センチぱっかりの体長に閉じ込めた、烏山動物園の依代樣。象にライオン、キリン、ダチョウやバクからアルパカに至るまで、世界中の珍獣奇鳥凡禽怪獣とその飼育設備があのカラスがはらわたに包まれているのだ。
 彼女を射抜けと? マスケットで撃ち落せと? 僕はこのハゲが少しばっかり気が違っているんじゃないかと訝んだ。
 そんなことをやれば、落下点が、まさにこの踏切が、"烏山動物園"になってしまうじゃないか。ここは烏山市じゃないのに。
「大丈夫大丈夫」
 飼育員は呵呵と笑った。「烏山動物園の在るところが烏山になるんだ。実を言うとね……」と周囲に人どこから犬の影さえないのに、仰々しく僕に耳打ちして「"烏山市"という地名と歴史もQちゃんに食わせていたのさ。依代として施術するときにね。さすがに住民や市の建造物をまるごとは無理だったが」
 つまり?
「Qちゃんを落とせばこの地が"烏山市"になる。動物園施設のおまけつきでね」
 じゃあ、今の街は、この○○市は(今となっては当時の市名は忘却の彼方)どうなるんですか? 「消える」即答。
「ハナから存在しなかったことになる。烏山千四百年の歴史がまるまるスライドしてくるわけだからね。市民、いや国民の記憶や系譜、周辺建物の謂れは都合よく書き換えられ、まぁその他色々見えざる手がちょちょいと小細工やなんかを施せば、あら不思議、○○市はものの見事に抹消されてしまいましたとさ、ってわけ」
 彼の僕は"ちょっと待っててください"と、彼に申し出た。心を決めかねていたわけじゃない。弾を銃に装填する時間が欲しかったのだ。イエスかノーかでいえば、前者以外に選択肢はない。なぜならここは現実だからだ。一羽のカラスが百七十二種八百九頭の生き物を孕んでいる空間なのだ。

"ぼんやりと突っ立っているだけでは永遠にお家に帰れないぞ"
――いつだったか僕が現実についての講義を受けた時に、教官が繰り返していたフレーズだ。そうだ。撃たなくてはいけない。槊杖で装薬と弾丸を銃身に押し込みながら、呟く。行動、しなくては。
 Qちゃんが電柱に留まって寛いでいる風なQちゃんを銃口に捉える。あんなところに電柱なんて立っていたのだっけ。 
いや、この期に及んで疑問は無用だ。疑問? ハと気づく。
烏山市がこの土地に呼ばれるとして、前に烏山市があった場所はどうなるんだ?
「そんなことは……いいじゃないか、どうでも」と飼育員は忌々しげにかつ心底面倒くさそうに呻き、こうも付け足した。
「多分、あそこも消える。あの哀れな市長も、住民も。それこそ跡形も無く。でっかいクレーターができて、小隕石が落下したことにでもなるんじゃないか。ならないかな。いずれにしろ俺の関知するところではないよ。俺は烏山動物園の飼育員なのであって烏山市に仕えているわけじゃない。だいたい君もあれだよ。そういう些事に拘ってだな」発砲する。
 渇いた銃声が耳道内に反響し、続いて鳥があげた断末魔の悲鳴で満たされていく。心地よいアルベルティ・バスにひとつだけノイズが混ざっていた。ノイズはこうもり親父の声とそっくりで、こう言ってるようにも聞こえた。
「しかし、君、さっき詰めた銃弾。あれ、散弾のように見えたけど」
 拡散した香辛料の匂い鼻腔をつく。脳内を染め上げる黄色一色のイメージ。記憶が途切れる予感に震えた。


 家路につく途中の売店で地方紙を買った。新聞名は『烏山新聞』。ああ。当然、動物園脱走の記事なんてどこにもなかったよ。どころか、社会面は二十三面じゃない七面だ。二十三面は経済欄で……丁度その日は烏山動物園の株価が二割も下落していたことを報じていた。園内で数頭の動物が謎の事故死を遂げたことが関係しているらしい。散弾がいけなかったのだろうか。それとも、地面に叩きつけられた時の打ち所が存外に悪かったか。
 
 楠井町は町名はそのままだけど、あの第四種踏切は動物園に飲み込まれて行方不明だ。かつて踏切の代わりに動物園の入場ゲートが立ち、「とまれみよ」のみすぼらしい看板は洒脱の利いた粋なフォントの「KARASUYAMA ZOO」に化粧変えした。

 僕は今もマスケティーアを続けている。訓練で獣脂の利いた散弾の実包を噛み切る度に、あの日のことが思い起こされる。あるいは、未だに現世をさ迷っていて、誰かに呼び止められるのを待ち続けているのかもしれない。誰かの肩を叩きたがってるのかもしれない。誰かに僕の作った現実を撃ち殺してもらうために。
posted by mistoa at 17:57| Comment(0) | TrackBack(0) | mistoa vol.6 archives | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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